クリストファー Vol.12
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 社会福祉学部こども教育福祉学科 准教授06この世界は「夢」ではないのか? “この世界は「夢」ではないのか?”─それが僕の最初の記憶です。4歳の頃でした。家の中で遊びながら、窓越しに空を眺めている時、「今、自分は夢を見ているのかもしれない。早く目を覚まして、本当の世界に戻らなくては」─そんな不安に取り憑かれてしまったのです。まだ4歳でしたから、その不安をうまく言葉にできませんでした。「夢の感じがする」と言いながら、壁に頭を打ちつけて目を覚まそうとする僕を見て、両親は心配し、大きな病院に連れて行きました。様々な検査を受けましたが、どれも異常なし。「もう夢の感じはしない?」と聞かれた時、思わず「うん」とうなずいてしまいました。心配をかけたくなかったからです。でも、本当は「夢の感じ」は続いていました。   「答えのない問い」から「答えのある問い」へ “この世界はやはり「夢」ではないのか”─そんな疑念を抱えたまま成長した僕は大学に入学し、デカルトの『方法序説』や中国の『荘子』を読み、驚きました。そこには自分が悩み続けてきたのと同じ問いが問われていたのです。それと同時に、この問いには原理的に答えがないことも知りました。つまり、どのような事実に出会っても、世界が「夢」ではないことの証明にはならない、と。なぜなら、世界は「夢」ではないと強く確信する事実に出会ったとしても、次の瞬間には目が覚め、すべてが「夢」だったと知る可能性は常に残されるわけですから─そう、「胡蝶の夢」のように。 要するに、“この世界のすべてが「夢」ではないのか?”という問いの立て方が間違いだったのです。この問いを研究可能な問いにするためには、次のように問うべきだったのです。“この世界を構成している「夢」を人はどのように見始めるのか?”、そして“今の「夢」とは違う〈夢〉を現実として生きることはどのようにすれば可能か?”と。 「夢」を「現実」として生きる人間 人類の歴史を概観した『サピエンス全史』の中でユヴァル・ノア・ハラリが指摘するように、ホモ・サピエンスはみずから「虚構(=夢)」を創り出し、それを集団で「現実」と見なす研究の紹介「夢」よりも深い〈夢〉の中へ─子どもの発達を支える保育環境の研究─細田 直哉

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