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聖隷を創った人々


聖隷創設の精神は、キリスト教の精神であり、隣人愛の精神です。
この精神の実践者として多くの人たちがここ聖隷に集まり、有形無形の奉仕を行いました。
その中から、経済的に豊かでなかった創業時から激動期にかけて、聖隷を支えた人たちについてご紹介します。

長谷川 保
聖隷グループの創始者の一人。生涯を通じて無私・無欲を貫き、受入れ先のない結核患者の受け入れに始まり、多くの仲間・支援者を得て、結核療養のための「聖隷保養農園」から現在の聖隷の姿「福祉」「医療」「教育」の骨格づくりと方向づけを行いました。

渡邊 兼四郎・草夫妻
べテルホーム時代から無償で貧しい結核患者を診察し、薬を提供して療養所の医療を援助しました。キリスト者であった草夫人の力も大きいものでした。後に聖隷保養農園附属内科医院の院長、聖隷保養農園理事長を務め、深く聖隷と関わりました。

鳥居 恵一
長谷川保らとともに聖隷の初期を支えた創始者メンバー。聖隷誕生前の愛耕園で花園の経営を行っていましたが、賀川豊彦の消費組合実践活動に共鳴して静岡県初となった「消費組合浜松同胞社」を立ち上げ、中心となって運営しました。

山形 春人
聖隷社の最初の事業「聖隷社クリーニング店」を実質的に運営した人物。戦後、海外から引き揚げてきた母子家庭のために聖隷が建てた「弁天島同胞寮」の寮長として90世帯200人余の母子を救いましたが、過労が原因で志半ばの42歳で召天しました。

大野 篁二
「聖隷社」結成時のメンバー。長谷川保とは別の道、農村伝道に取り組み「聖隷社農場」を開設。浜松農民運動の指導者として活躍し、戦後は農地改革を推進しました。

賀川 豊彦
日本を代表するキリスト教社会事業家で聖職者であり、労働運動、農民運動のリーダー。聖隷の困窮を見かねて、長谷川保に全国イエスの友会で窮状を訴えるよう促し、聖隷を「一坪献金運動」によって救う結果に導きました。あらゆる活動に精神的・金銭的バックボーンとして聖隷を支えました。

園田 繁草
渡邊兼四郎医師と同じく、貧しくて医療費の払えないベテルホームの結核患者を支援した耳鼻咽喉科の医師。聖隷と関係の深い浜松伝道所の松本美實牧師は園田の義理の弟です。

長谷川 八重子
日本基督教会浜松伝道所でキリスト教に出会い東京神学社に入学。1930年、伝道所の縁で長谷川保と結婚。人手不足を補うため浜松に帰りベテルホーム時代から患者さん、働き人たちのために買い出し、炊事、金銭の工面などに大奮闘し聖隷の事業を支えました。また深い信仰のもとで夫を理解し支え、保とは「一卵性夫婦」と呼ばれました。

鈴木 唯男
「聖隷社クリーニング店」の時代から長谷川保の傍らでともに聖隷の歴史を歩み、聖隷保養農園では結核療養生活の指導者として聖隷の看護に大きな指針を創り出しました。
戦後は聖隷厚生園園長として活躍し、優れた聖隷の後輩を送り出しました。2004年から2016年に召天するまで、聖隷歴史資料館の館長を務めました。