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教員リレーエッセイ

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声なき声を聴くこと


2023年6月10日更新
 私の助産師人生の始まりは、「胎児はお腹にいるときから、母親の気持ちがわかる」との講義を聞いたことがきっかけでした。胎児とは、母親の胎内にいる子どものことを言います。まだ、直接母親の顔を見ることのない胎児が、母親の気持ちをどうして知ることができるのかと疑問が湧き出てきました。
 あれから数十年、私は新生児看護に魅了され、小さな手を守りたいと思い、NICUの研究に携わり続けています。最初の就職先が、NICU(Neonatal Intensive Care Unit:新生児集中治療室)でした。生まれて間もない新生児が、透明の保育器の中で、機械に囲まれながらも、命と必死に向き合っている姿に、胸が詰まる思いでした。しかし、保育器に手を入れ、看護をしていくうちに、子どもが小さな手で力強く私の指を握り、つぶらな瞳の奥に生命力の強さを感じ、私が怖気づいていたらいけないと教えられました。そして、気管に挿管チューブが入り直接声を出すことができず、言葉で思いを伝えられない新生児が、小さな手足を動かしながら、行動で私たち医療者へ必死に思いを伝える様に、声なき声を聴くことの重要さを学びました。
 現在は、NICUから自宅へ移行する際の医療的ケアを必要とする子どもの家族のヘルスリテラシーについての研究に携わっています。NICUという病棟の空間のみならず、自宅で家族と共に暮らせるように、豊かな生活空間のお手伝いをし始めました。
 聖隷グループの歴史の始まりは、重い結核を患う人々に手を差し伸べたことでした。そして、障がいのある子を一人でも救いたいという思いから東海地方で初めて「未熟児センター」、地域における重症心身障害児のための施設「聖隷おおぞら療育センター」が開設されました。また、我が国初の「ホスピス」の開設など、声なき声に向き合い続けています。
 声なき声に耳を傾けることこそ、聖隷の原点であり、現代にも必要なことではないかと思う今日この頃であり、本学学生と共にその意味について問い続けていきたいと考えます。