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教員リレーエッセイ

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看護の力を学校保健の場で活かす


2024年9月10日更新
 私の専門は学校保健学という領域です。子どもが多くの時間を過ごす、学校という教育の場で子ども達の健やかな心身の発達の支援や病気の予防、生涯を通じた健康管理ができる能力を育てる、ということが学校保健の目的です。
 その中で「養護教諭」は保健室の運営をしながら学校保健に携わり、子ども達の「養護」を司る職務を担っています。皆さんのイメージでは、「保健室で悩みを聞いてくれる先生」や、「けがや病気の時に処置をしてくれる先生」というものが多いのではないでしょうか。
 近年は乳幼児期から医療的なケアが必要な子ども達が多くなっており、学校においても教育活動の中で医療的ケアを実施するための看護師の配置も増加しています。養護教諭は直接医療的ケアに携わることはありませんが、健康管理の担当者としての立場で保護者や多職種の方々と連携しながら支援する役割も担っています。
 わが国の学校保健の歴史は、明治30年頃に大流行した「トラホーム」という伝染性の目の疾患の治療対策にさかのぼります。当時、学校医制度により学校医は配置されていましたが、養護教諭という職業はありませんでした。明治30年代中期から就学率が急激に向上し、学校での集団生活が一般化したことや学童検診の普及により、「トラホーム」の発見が表面化したこと、当時の生活習慣などの要因の中で、「トラホーム」の学童の罹患率は30%以上と非常に高いものでした。このため、「学校看護婦」が採用され、トラホームの予防教育や治療にあたった、とされています。
 しかし、当時の対策は、抗生物質も無かったことから、学校を休ませて隔離することや人と間隔をあけること、トイレや教室を区別すること、持ち物や配布物を別にすること、毎時間の手洗いの励行など、現在では感染対策として周知されていることが、当時は差別的な扱いと受け取られ、保護者から相当な反発があったとされています。保護者の激しい反発に当時の学校看護婦の方は「夜も眠れないほど心配だった」と回想されており、トラホームの対策は広範な人々の不信や伝統的病気観との闘いでもあったと言えます。
 そのため、学校看護婦はトラホームの洗眼やその他の病気の手当、衛生教育、時には家庭訪問によって家族の看護も行うなど、献身的な努力を継続しました。それが次第に成果をあげ、人々の学校衛生やトラホーム治療に対する受容や信頼を得るまでに至ったことが記録に残されています。日本で最初の「学校看護婦」であったとされる「広瀬ます」さんは、助産師でもあったため、依頼を受けて出向いた家庭の助産活動で腸チフスに感染し、その後に生涯を終えられています。
 養護教諭の職務や学校保健はこのような歴史的背景を経て今に至っています。時代は変わっても、「看護」の知識と技術、そして人々の健康と幸福を願う「看護の心」は教育の場においても活かすことができ、必要不可欠であると信じています。