精神障がい者の人権について
2022年5月25日更新
私の研究テーマは精神障がい者の「人権」です。教員になる前は精神保健福祉士として精神科病院やクリニック、福祉施設で精神障がい者の支援の仕事をしてきました。精神科病院では長期入院が常態化し、一部では病棟スタッフによる暴言、暴力等が横行していました。私自身も、勤めていた精神科病院で、暴力をふるう2名の病棟スタッフを上層部に訴え解雇してもらうことがありました。これはかつてあった昔話ではなく、現在も同じようなことが度々報告されています。2020年には、兵庫県のある病院で複数の病棟スタッフによる患者さんへの集団虐待事件が起こりました。事件後、病院側は行政等の立ち入り調査で長年の虐待の事実を認識していたにもかかわらず隠蔽していたことが明るみになっています。このように、日本の精神保健福祉領域では人権侵害の課題があります。
ここで、研究テーマである「人権」の定義をみていきます。17世紀、イギリスのジョン・ロックが「人は生命・自由・財産に対する権利を『自然権』として生まれながらに授けられており、この自然権は誰にも譲り渡すことができず、また、いかなる権力もこれを侵すことはできない」と唱え、この『自然権』の思想がのちに「人権」の定義につながったとされています。その後、18世紀末につくられたアメリカ合衆国の独立宣言や憲法、フランスの「人と市民の権利の宣言」(フランス人権宣言)などにその考えが盛り込まれました。ただし、この「人権」は、支配された植民地の人びとや、人種の異なる人びと、奴隷などは含まれていませんでした。同時に女性や子どもも成人男性と同じ人権を持っているとは考えられませんでした。この時点では「人権」とは限定的な人しか享受できるものに過ぎなかったのです。
人権が国際的に定義されたのは、第二次世界大戦後、1948年に国際連合で当時の加盟国が賛成してつくられた世界人権宣言によります。「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として」人権とは何かを示しています。同時期に施行された、日本国憲法第11条では、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」としています。そして、2006年に成立した障害者権利条約(日本政府公定約)の14条1項(b)では「不法に又は恣意的に自由を奪われないこと、いかなる自由の剥奪も法律に従って行われること及びいかなる場合においても自由の剥奪が障害の存在によって正当化されないこと。」と条文で障がい者の人権を守ることを求めています。
しかし、我が国では、憲法や条約で保障されている精神障がい者の「人権」の理念があるにもかかわらず、国内法である精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下:精神保健福祉法)によって精神障がい者の「人権」を強く制限しています。精神科医の岡崎は、精神保健福祉法に関して、「入院患者の権利擁護に関する部分と、社会防衛のための公権力による強制処遇(措置入院)を規定した部分、というように極めて異質な要素を含んでいる」とし法律自体に齟齬があることを指摘しています。日本では、18世紀の「人権」思想と同じく、精神障がい者の「人権」が強く制限されています。
転じて海外の例と比較してみます。イギリス、アメリカ、イタリア、フランス、ドイツ、スウェーデン、フィンランド等の先進諸外国では精神科病床は減り続け、平均在院日数は数週間と短期間であり長期入院の課題は解消されてきています。いずれの国も精神障がい者の人権を守る法施策が整っています。一方、日本には世界の精神科病床の16%があり、平均在院日数は269.9日です。現在の精神科病院入院者は約28万4千人で、1年以上の長期入院者は約18万人にもなります。2011年度の厚生労働省の精神・障害保健課調査によれば、1年以上の入院した後の退院者のうち36%しか地域移行できていません。「転院、転科」が39%、「死亡」が22%で、別の病院への転科か、死亡退院が6割以上を占めています。長期入院者の退院の大半は、転科と死亡者によって減少していると予測されています。精神科病院では新規入院者の短期入院化は進んでいるものの、専門職の人員配置が少ないことを理由として、諸外国では禁止されてきている身体拘束が増えています。
精神障がい当事者への調査やインタビューの中で、あきらかになってきたことがあります。精神科病院や精神保健福祉を利用する精神障がいのある当事者自身による人権擁護の活動が大きなムーブメントとなってきたことです。2009年、障害者権利条約の批准や国内法を整備することを目指し首相を本部長とする障がい者制度改革推進本部を立ち上げられました。障がい者制度改革推進本部の設立は、障がい者自身の草の根の当事者活動の成果でした。内閣府では障がい者制度改革推進会議が発足し、精神障がい者も運営委員になりました。我が国の障害者関連の審議会では初の、当事者が過半数を占める委員会であり、画期的なものでした。この会議以外にも、精神障がい当事者による精神保健福祉に関する研究や問題提起の活動が増えてきました。その活動は、当時停滞していた障害者権利条約の批准や、障害者自立支援法違憲訴訟団と国との和解を果たし法改正への道筋ができました。残念ながら、この道筋の過程における精神保健福祉専門職のかかわりは十分とは言えませんでした。だからこそ、当事者自身が声をあげてきたといえます。
冒頭から、精神医療の中で精神障がい者の人権は制限された状態であると説明してきました。日本ではさまざまな分野で人権擁護が拡充をしてきたのですから、一部が制限された状態であることは「人権」が守られた状態とはいえません。一部の対象者が制限されている「人権」は、易々と他の人々の「人権」を崩壊させてしまう危険性を残すことになります。この崩壊の余波はすべての方に及びます。
精神障がい者の声は大きくなっています。その声に精神保健福祉専門職や市民の声を重ねていくことで、精神障がい当事者の「人権」が守られた社会に近づけると信じています。
引用文献
・アジア・太平洋人権情報センター著(2019)「人権ってなんだろう?」
・岡崎伸郎(2013)「精神保健福祉体制のあゆみと展望 ~2013年改正の動向を含めて~」仙台医療センター医学雑誌 Vol.3, pp.12-20
・伊藤哲寛(2014)「精神保健福祉法廃止と新たな精神医療法制」 病院・地域精神医学
・「人間の尊厳から強制入院を考える」 大阪精神医療人権センター 記念書籍
ここで、研究テーマである「人権」の定義をみていきます。17世紀、イギリスのジョン・ロックが「人は生命・自由・財産に対する権利を『自然権』として生まれながらに授けられており、この自然権は誰にも譲り渡すことができず、また、いかなる権力もこれを侵すことはできない」と唱え、この『自然権』の思想がのちに「人権」の定義につながったとされています。その後、18世紀末につくられたアメリカ合衆国の独立宣言や憲法、フランスの「人と市民の権利の宣言」(フランス人権宣言)などにその考えが盛り込まれました。ただし、この「人権」は、支配された植民地の人びとや、人種の異なる人びと、奴隷などは含まれていませんでした。同時に女性や子どもも成人男性と同じ人権を持っているとは考えられませんでした。この時点では「人権」とは限定的な人しか享受できるものに過ぎなかったのです。
人権が国際的に定義されたのは、第二次世界大戦後、1948年に国際連合で当時の加盟国が賛成してつくられた世界人権宣言によります。「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として」人権とは何かを示しています。同時期に施行された、日本国憲法第11条では、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」としています。そして、2006年に成立した障害者権利条約(日本政府公定約)の14条1項(b)では「不法に又は恣意的に自由を奪われないこと、いかなる自由の剥奪も法律に従って行われること及びいかなる場合においても自由の剥奪が障害の存在によって正当化されないこと。」と条文で障がい者の人権を守ることを求めています。
しかし、我が国では、憲法や条約で保障されている精神障がい者の「人権」の理念があるにもかかわらず、国内法である精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下:精神保健福祉法)によって精神障がい者の「人権」を強く制限しています。精神科医の岡崎は、精神保健福祉法に関して、「入院患者の権利擁護に関する部分と、社会防衛のための公権力による強制処遇(措置入院)を規定した部分、というように極めて異質な要素を含んでいる」とし法律自体に齟齬があることを指摘しています。日本では、18世紀の「人権」思想と同じく、精神障がい者の「人権」が強く制限されています。
転じて海外の例と比較してみます。イギリス、アメリカ、イタリア、フランス、ドイツ、スウェーデン、フィンランド等の先進諸外国では精神科病床は減り続け、平均在院日数は数週間と短期間であり長期入院の課題は解消されてきています。いずれの国も精神障がい者の人権を守る法施策が整っています。一方、日本には世界の精神科病床の16%があり、平均在院日数は269.9日です。現在の精神科病院入院者は約28万4千人で、1年以上の長期入院者は約18万人にもなります。2011年度の厚生労働省の精神・障害保健課調査によれば、1年以上の入院した後の退院者のうち36%しか地域移行できていません。「転院、転科」が39%、「死亡」が22%で、別の病院への転科か、死亡退院が6割以上を占めています。長期入院者の退院の大半は、転科と死亡者によって減少していると予測されています。精神科病院では新規入院者の短期入院化は進んでいるものの、専門職の人員配置が少ないことを理由として、諸外国では禁止されてきている身体拘束が増えています。
精神障がい当事者への調査やインタビューの中で、あきらかになってきたことがあります。精神科病院や精神保健福祉を利用する精神障がいのある当事者自身による人権擁護の活動が大きなムーブメントとなってきたことです。2009年、障害者権利条約の批准や国内法を整備することを目指し首相を本部長とする障がい者制度改革推進本部を立ち上げられました。障がい者制度改革推進本部の設立は、障がい者自身の草の根の当事者活動の成果でした。内閣府では障がい者制度改革推進会議が発足し、精神障がい者も運営委員になりました。我が国の障害者関連の審議会では初の、当事者が過半数を占める委員会であり、画期的なものでした。この会議以外にも、精神障がい当事者による精神保健福祉に関する研究や問題提起の活動が増えてきました。その活動は、当時停滞していた障害者権利条約の批准や、障害者自立支援法違憲訴訟団と国との和解を果たし法改正への道筋ができました。残念ながら、この道筋の過程における精神保健福祉専門職のかかわりは十分とは言えませんでした。だからこそ、当事者自身が声をあげてきたといえます。
冒頭から、精神医療の中で精神障がい者の人権は制限された状態であると説明してきました。日本ではさまざまな分野で人権擁護が拡充をしてきたのですから、一部が制限された状態であることは「人権」が守られた状態とはいえません。一部の対象者が制限されている「人権」は、易々と他の人々の「人権」を崩壊させてしまう危険性を残すことになります。この崩壊の余波はすべての方に及びます。
精神障がい者の声は大きくなっています。その声に精神保健福祉専門職や市民の声を重ねていくことで、精神障がい当事者の「人権」が守られた社会に近づけると信じています。
引用文献
・アジア・太平洋人権情報センター著(2019)「人権ってなんだろう?」
・岡崎伸郎(2013)「精神保健福祉体制のあゆみと展望 ~2013年改正の動向を含めて~」仙台医療センター医学雑誌 Vol.3, pp.12-20
・伊藤哲寛(2014)「精神保健福祉法廃止と新たな精神医療法制」 病院・地域精神医学
・「人間の尊厳から強制入院を考える」 大阪精神医療人権センター 記念書籍
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