こころのケアって何ですか?
2022年6月10日更新
私の専門は精神看護学という領域です。近い言葉でいえば「こころのケア」がありますね。でもこころのケアって何か?どういう営みか?と考えると上手く表現できません。それでは、今回はこころのケアについて考えてみましょう。
疲れたこころの回復で一番大切なことは、きちんと、たっぷり寝ることと、食べることです。でも、こころが疲れてしまった人は、強い不安感をもっていますので、寝ることも食べることも難しくなります。そのためゆっくり安心して休める物的・人的環境を調整することがこころのケア者の役割になってきます。
特に難しいのは人的環境の調整です。「私は安心安全な人間なんですよ」と伝えるにはどうすればいいのでしょうか。そう考えると、こころのケアとは患者さんにこうすればいいという単純な伝達方法や、テクニックではなさそうですよね。こころのケアは、私がどのような存在としてそこにいるのか?という、ケア者の生き方そのものが問われていそうです。
みなさん、自分のこころが疲れた時、回復が難しい重たい病にかかった時、どのようなこころ模様になるでしょうか。おそらく、どんよりとした気持ちで、自分に自信を無くし、暗い世界で耐えている状態ですよね。ではその時、立派で元気いっぱいで、いかにも自信満々なケア者が現れたら救われるでしょうか?おそらく逆に「自分にはないものをもっているなあ」と、とかえって苦しみを強めさせてしまいます。自信満々でキラキラ輝いている人生を送っているように見える人がこころのケアをしようとすると「強い人間」が「弱い人間」を救う、というような同情しているような関係性になって、逆に苦しみを強めさせてしまうということですね。
勉強していろいろな知識を身に着けると、自分がどんどん立派な人間になっていく。それは大切な人間としての生き方の一つです。しかし、こころケア者をめざすうえで大切なことは、どれだけ勉強して知識を身につけたとしても、やっぱり自分は「やるといいながら怠けるし、知らないこともたくさんある。嘘も言う。都合のいい解釈もする。できないこともたくさんある」という、弱くもろい自分というのを、受け入れていく生き方です。それができると、雰囲気が穏やかな人間になっていきます。どうしてかというと、自分にも弱いところがたくさんあるという自覚は、自分の強さ、今の言葉でいうとマウント、攻撃性、が発揮されなくなっていくからです。
こころが疲れて弱ってしまった人と、自分の弱さを自覚しているケア者という、お互い弱い人間同士が出会うことが、「お互い弱い者同士だから、じゃあ支えあって生きましょう」という、共生、と互助というこころのケアの発動につながるのです。
しかし、自分の弱さを受け入れるのは、自分にとってつらい作業になります。勇気と覚悟と訓練が必要です。その学びが聖隷クリストファー大学が伝える「精神看護学」です。このように、相手に何をするか?と自分から相手に向ける行為を学ぶというよりは、自分がどのように生きるか?と自分自身の内側に問いつづけることが「こころのケア」といえるでしょう。
疲れたこころの回復で一番大切なことは、きちんと、たっぷり寝ることと、食べることです。でも、こころが疲れてしまった人は、強い不安感をもっていますので、寝ることも食べることも難しくなります。そのためゆっくり安心して休める物的・人的環境を調整することがこころのケア者の役割になってきます。
特に難しいのは人的環境の調整です。「私は安心安全な人間なんですよ」と伝えるにはどうすればいいのでしょうか。そう考えると、こころのケアとは患者さんにこうすればいいという単純な伝達方法や、テクニックではなさそうですよね。こころのケアは、私がどのような存在としてそこにいるのか?という、ケア者の生き方そのものが問われていそうです。
みなさん、自分のこころが疲れた時、回復が難しい重たい病にかかった時、どのようなこころ模様になるでしょうか。おそらく、どんよりとした気持ちで、自分に自信を無くし、暗い世界で耐えている状態ですよね。ではその時、立派で元気いっぱいで、いかにも自信満々なケア者が現れたら救われるでしょうか?おそらく逆に「自分にはないものをもっているなあ」と、とかえって苦しみを強めさせてしまいます。自信満々でキラキラ輝いている人生を送っているように見える人がこころのケアをしようとすると「強い人間」が「弱い人間」を救う、というような同情しているような関係性になって、逆に苦しみを強めさせてしまうということですね。
勉強していろいろな知識を身に着けると、自分がどんどん立派な人間になっていく。それは大切な人間としての生き方の一つです。しかし、こころケア者をめざすうえで大切なことは、どれだけ勉強して知識を身につけたとしても、やっぱり自分は「やるといいながら怠けるし、知らないこともたくさんある。嘘も言う。都合のいい解釈もする。できないこともたくさんある」という、弱くもろい自分というのを、受け入れていく生き方です。それができると、雰囲気が穏やかな人間になっていきます。どうしてかというと、自分にも弱いところがたくさんあるという自覚は、自分の強さ、今の言葉でいうとマウント、攻撃性、が発揮されなくなっていくからです。
こころが疲れて弱ってしまった人と、自分の弱さを自覚しているケア者という、お互い弱い人間同士が出会うことが、「お互い弱い者同士だから、じゃあ支えあって生きましょう」という、共生、と互助というこころのケアの発動につながるのです。
しかし、自分の弱さを受け入れるのは、自分にとってつらい作業になります。勇気と覚悟と訓練が必要です。その学びが聖隷クリストファー大学が伝える「精神看護学」です。このように、相手に何をするか?と自分から相手に向ける行為を学ぶというよりは、自分がどのように生きるか?と自分自身の内側に問いつづけることが「こころのケア」といえるでしょう。
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